昭和43年4月22日 夜のご理解
                     平川直子ノート・松永享四郎

 一人一人人間氏子の上に、天地の親神様の願いと云うか、天地の親神様の働きが、夫れ夫れの上には、その働きを全てが氏子を幸せにしていかねばおかんと云う事以外にはないのです、ここのところ根本的に判らせて頂きますと、全てが有り難い。
 その中にやはり、おかげを下さろうする事の為に、間違うておれば、間違うておるぞと云う、お気付きもあろう、又、おかげを下さろうとする為の神様のご神慮が、これでは、まだ受け物が足りない、そこで、受け物を作らせて下さる為に、修行をさせて下さる事もあろう。
 それは、色々ですけれどもね、そこんところ、お互いひとつ判らせて貰うと、いよいよこの問題、いよいよの事、いよいよの場合に慌てないで済む、と思うんですよね、神様のご都合なんですね、それは、人間を氏子一人一人の上に、神様が本当におかげを下さろうとする働きなんです。
 そういう現れ、そん中にはね、申します様に、それではおかげが受けられんじゃないかと云うて、お気付を下さる場合、だから、こちらが改まってしゃんとした信心になってきゃ、いい、ね、一段と信心をいやば、方向が間違うるなら、方向を変えていくしね。
 又、特別神様が、おかげを下さろうとする場合、やはり修行不足であった場合なんかは、修行として、難儀を求められる様な場合もある、兎に角、神様のご都合なんだから、どう云うご都合であろうか、どう云うご都合であろうかと、それを、あの探索して行くというね、それをして行く訳なんです。
 どちらにしたところで、おかげなんですけれども、おかげを頂いて今日、ん-ん-高橋さんが、朝のご祈念から、丁度昼まで、いろいろご用をされておられましたんで、もう何回も帰る帰ると云うお届けがあって、ああもう帰っとると思うと、また何かご用があってとうとう昼過ぎまで居られた。
 ほて、私が下がるまで、頑張らして頂いて待ちよる、その尿の検査をして、尿の検査がある、ところがですね、「もう如何に疑い深い高橋さん、あんたでも、もうこれにはしょうもないね」と私が高橋さんに云うて笑ったんですけど、こりゃ、あの検査する、あの-あれが、「こりゃ間違うとるんじゃなかろうか」と云うて何べんもされるんですがね、本当にあの大祭の前日までは、大祭の前日15日が一番ひどかったです、もう体も本当にあの砂糖水でも飲まさにゃならんほどにひどかったです。
 繁雄さんと、あの文男さんと二人で、介抱してくれていましたけど、文男さんが慌てて医者を呼びに行こうと云うたぐらい、ひどかったです、けども、15日、16日の大祭から元気になっとりますもんね。
 もう本当にあの-元気ですもんね、それから、そして、どうしても、あの、糖のあれが下がらなかったものが、14日でしたか?15、16日ですか、17日ですね、17日か、18日に検査して貰ったところが、五が一番悪いとですが、四のところまで下がっとる。 今日調べて貰いましたらね、五、五の内のね、もう一は一番悪くない、どうもないとです、その一と二の中間なんです、頭ばかりひねっている、所謂、不思議だ不思議だ、これが、間違ってないだろうか、と云う訳なんです。
 と云うほどにですね、神様のご都合だと信じておるからそうなんですよ、こりゃ、困った状況、こりゃ、もういよいよ、私の命取りだね、だから、その事に対しては皆さんは、銘々一生懸命、親先生ご病気ご平癒と云うお取り次ぎが、幾らも沢山あっております様にですね、願っておられるけれども、神様のご都合なんだ。
 それで、私は、ほ-ら見てご覧、私が体があちこち悪かったり、先生にちっとばかり、ぎょうらしかから、オ-バ-だからって、あんただんが云うけれど、これを見ていくといっちょんオ-バ-じゃないことが判るだろうが、なぜって、こう云う風に、あんたきちっと数字が現れて来るんだもの、成るほど、私が15日の、あんなにひどかった、14日か、13日もあんなず-っと下がらなっかったね、あれが、オ-バ-でなかった事が判るだろうね。
 もう、例えば、どんなに考えても、幾ら食餌療法をしとるからと云ってですね、10日も20日も下がらなっかったものが、大祭を境にピタッと下がると云った様なしかも、今日なんかは、もう云うなら、もうほんのチョッと出るだけ、二でもない一と云うのは、もう全然どうもない、普通健康の人。
 あれ、その、それと、二との間、中間もう色が出るだけなんです、成るほど、体がきつくない筈だなあ、足取りが軽くなったなと、云う事が判る、ね、だから、そう云うね、おかげを頂いておると云う事が、有り難いのじゃない、そう云う働きが有難いのだ。
 それを、神様のご都合だと信じさせてもらう事が有り難いのだ、神様のご都合じゃろうとは思いますばってん、難儀を感じる、これじゃ、ご都合と感じとらん証拠です、もう全てがそうなんですよね、神様の願いがここに成就する、その為に、神様の、その様な働きがある。
 そこんところを思い込ませて貰う、そこんところを頂いてして見ると、そんなら、私が頭が痛い、腹が痛い、サ-お父さんはオ-バ-だから、と家内達が、私の病気を軽く見る、けども、本当に痛いちゅう時には、本当に痛いのだと、やっぱ信じて大事にしなければ、いけんと云う事が判る、ね。
 はっきりここに現れて来る、如何にどうこう疑い深い皆が、どげん云うたところでですね、そうして数字に現れて来る、だから、ご大祭でお疲れになったでしょうと、こう皆が云うて来る、ところがひとつも疲れていない、かえって元気。
 15日よりも元気で、16.16日ならなお元気になっておかげを頂いておる、17日になれば、なお元気になって、そこんところをです、ひとつ愈々お互いが、判らして頂かにゃいけませんね。
 さあ、困った事が起った、お願いせんにゃ、成るほど、お願いする事もよかろう、けれどもね、どこかに神様のそう云うご神意があるかね、所謂、神様の願いがどこにあるか、神様の思いがどこにあるか、ね、それが判る時です、例えば、それがどんなにひどい事を云われようが、どんなにひどい目、ひどい難儀に直面しようがです、ひとつも慌てる事はいらんね。
 神様のご都合に勿論、間違いないのだと、こう信じさせて頂けれるうところまでね、本当の神愛を知らなければいけないと、ね、まあ、皆さん一生懸命お願いをして下さっている、私は、一生懸命心配下さってからの事でございますから、今日は、そう云うおかげを頂きました。
 けども、それが、私は、実はおかげとは思わないね、それよりか、もういっちょ向こうにある、神様のお働きこそが、有り難いのである。      どうぞ。

 この事やらはね、私が足の悪い時だってそうだったでしょうが、もう本当に立ちも這いも出来んごと悪いかと思うと、さあ、月次祭のほんの、30分か1時間前には、足や立ちよって、直りましよったもん、だから、ほんなごって狂言と思いよった人もあろうかと思うです、けれどもそれは、私、ほんなこって皆さんが実証、皆さんが信じて貰わなければですね、兎に角、これからお取次ぎ頂く事に対してが、でも、信じられない事になるでしょうが。
 まあ、それは、例えばほんなら、私が仮病をしておる、わざと神様の働きを皆に、誇張する為に、頂かっちゃ、頂いたふりしてから、スパッと良くなったおかげを、皆さんに見せると云った様な事が、ほんならあるとしてもです、けども、そうじゃない事が判るでしょうがね。
 糖尿病の場合なんか、はっきりあなたもう、その所謂、医学的証明されていくんだもん、はっきりね、大祭をいわば、15日を境に16日には、もうおかげを受けておる、それから見てですね、皆さん、そう私だけの事じゃないですよ、み-んなの上にだって同じ事です。
 風邪引きひとつ、頭ひとつ痛いでも、腹が痛いでもね、神様のご都合、食べ過ぎたからじゃない、風邪引いたからじゃないね、そのまあいっちょ向こうにある神様の働きをね、判らして頂くと、有り難いですもんね。